みっとの感覚を言語化する⓪



こんばんは。

本日から、「みっとの感覚を言語化する」という、私の認知特性・行動特性を自分の言葉で言語化するシリーズをはじめてみようと思います。


動機については、以前に職場でも言われましたけど、「どういう感覚で過ごしているのかわからない、想像がつかない」という言葉に対する答えです。


発達障害の大前提としては、パッと見でわからないということ。

接してみてはじめて「どこか人と違う」という違和感を覚えるケースが大半だと思います。


職場が変わる、上司が変わる、接する人に説明するうえで、自分自身の状態や感覚を自分の言葉で言語化することはとても重要であるということです。



これまでの講演でも生きづらさの克服および共存のプロセスを経るうえで「生きづらさの言語化」は必須であることを述べてきました。


生きづらいことに対する医学的根拠の裏付けをもって説明する、根拠がなくてもどういう状態なのかを何かに例えて説明できることで、自分の中で何が起こっているのかを自分で納得でき、人に説明できる。

その結果、自己解決あるいは周囲に発信することで啓発、理解を深め、どう対応したらいいのかということに活かすことができるからです。


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あえて「発達障害の認知特性・行動特性を言語化する」とせず、「みっとの感覚を言語化する」としたのには理由は以下の通りです。


発達障害とは、障害そのものが単体で存在せず、必ず人と不可分であるということ

①発達障害は人によって特性・症状の出方がそれぞれであること

②人と発達障害は切っても切れないということ。

③生育環境とそれによって形成されてきた人柄・性格も関与すること


したがって、「発達障害の人はこうである」「ASDはこうで、ADHDはこうである」という典型はまず存在しないので、障害名や診断名だけで自分を説明せず、「私個人はこういう人間です」と周囲に説明することが正確な伝え方であるように思います。


大事なことは障害名・診断名で理解することでなく、

「その人理解」ということです。


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